交差する俺たち

個人的にいらついて仕方のない人物がいる。
岸田首相の息子、岸田翔太朗だ。

海外出張中に公用車で観光していたことや、首相官邸で忘年会を開く己の立場をわきまえない公私混同さがいらつく原因ではない。


それは親父と仲睦まじく、その親父に自分の人生を預けてしまっているところにある。

子供の自立には親の相克に悩むプロセスが必要であると思うが、こいつにはそれが見当たらない。
恵まれた自分の立場をよく考えずに自明のものとし、親と対峙せずのうのうと生きているこいつの破廉恥さが俺の神経を逆なでしてまわるのだ。

 

もう一人気になる人物がいる。
長野の立てこもり犯、青木政憲だ。

正直俺はこいつに感情移入してしまっている。
裕福な家庭に育ち、親の期待を一身にうけながら進学をするが、挫折し、長野の片田舎に幽閉されることになる。
息子の将来を悲観し空回りをする親は、どうにか働いてもらおうとジェラート店などを開店させる。
わざわざ店名に自分の息子の名前をつけて。

この親も息子の自立を望んでいる風であるが、大学を中退させ、稼ぐ能力が皆無の状態で実家に引き寄せてしまったのがまず失敗である。
はなから息子には実家の跡取りとして親元で農園を運営させたいという欲がみえみえであり、独立した個人としての政憲というものを果たして本当に望んでいたのだろうか。
自立を促している風なだけで、実家にへばりつけておいたのはどこの誰だろうか。


青木政憲は親の超克に悩んでいたのではないだろうか。
自立した個人として自分の人生を歩んでいきたいが、親の手ほどきによって生かされている現実に常に傷つけられていたのではないだろうか。

だからジェラート店など手伝わず、しかし収入元のない長野の片田舎という牢獄に幽閉されつつ、そこから抜け出す力も無かったのではないか。

そこで膿のように溜まっていく鬱屈に、俺は見覚えがある。


どうして岸田翔太朗はのうのうと生き、青木政憲は狂ったのであろうか。
同じ年代である俺はこいつらの顛末にやるせなさを感じてしまう。


俺には青木のほうが岸田のバカ息子より誠実に生きているふうに見える。
これは、感情移入のしすぎであるが。