俺は「ママ虫」と言う側の人間だ

 

1月下旬、日本には最強寒波が襲来し、俺は芯から冷やす冷気にからだを震わせながら、2度を下回る極寒の倉庫で積み込みと、部品の生産準備とに追われていた。

毎日その倉庫で作業していたため、俺の体にも変調が見え始めていた。

 

そんな折、同僚の女性社員がコロナに罹ったため一週間お休みするといった連絡がきた。

その社員は産休明けで時短勤務で、週のほとんどをテレワークで過ごしていた。

外の工場に行って部品を生産してくるのがなんぼな部署に、彼女が請け負える仕事はほとんどない。

しかし、上司が母親は厚遇せよという方針なのか、仕事をせずとも許されるといった状態だ。

 

 

 

 

 

極寒の倉庫で体を震わせながら、体調を崩しながら、まだ有給も取れず、時給であるため休みがそのまま減収につながり、体調を崩したらいつでも首をきれる非正規雇用の俺は、

 

自宅でぬくぬくしながら、仕事もせず金をもらい、テレワークのくせにコロナに罹り、堂々と有給をとる正社員なあの女を見て、ふと頭に思い浮かべてしまった。

 

 

「ママ虫」

 

 

82年生まれ、キムジヨンで知った言葉だ。

母親に対して強烈に侮蔑の意味が込められている。

 

 

期間工の待遇に同意はしつつも、非正規雇用全体に対して暗澹な思いを持っている。

俺は自分のことを弱者だとは思っていないが、社会的に見れば弱者に分類されるだろう。

正規雇用になって初めて、正社員たちの無邪気さ、無自覚さを思い知った。

この女もさらっと「○○さんは期間工だから」と言ってのける。

 

しかしそれでも、違う立場の女性を恨むというのは論理の飛躍を起こしている。

彼女だって産休から戻って重要な仕事が任されていないことに失意を覚えているかもしれないし、コロナだってどこで感染してもおかしくなく、産まれたばかりの赤ちゃんに移ったら大事だろう。

家事をしながら育児をしながら仕事をするのは想像を絶するほど大変なことだろう。

いつから俺は寛容さを、おもんばかる心を忘れてしまったのだろうか。

 

 

思うに一緒に仕事をする同僚だと思うと途端に苛立ちが起こるのだ。

ここで「女の子だから」という時代錯誤な女性蔑視を俺の中に導入してしまえば、苛立ちは収まるだろう。

はたして、それでいいのだろうか。

 

表向きでは男女同権を支持しておきながら、裏では「女の子」として見下す。

男女同権を掲げながら、「女の子」として特別扱いするのが今どきの、清濁併せ吞むのが男の役割だというのか?

 

 

どう折り合いをつければいいのかわからない。

 

 

ひとつ明らかなのが俺は「ママ虫」と言う側の人間で、潜在的な加害者であり、女性にとっての敵である可能性が高いということだ。