ナチズムの美学

 

これはベンヤミンが「ファシズムは政治の美学化である」と指摘した通り、ソール・フリードレンダーも同じ問題意識を持って、ナチのプロパガンダ映画の特徴から「キッチュ」と「死」が埋め込まれていることを主張した本だ。 

 

さらにナチズムは性愛と結びついていたのではないかとフリードレンダーは考察している。フーコーバタイユを参照しファシズムを支えたあの熱狂の正体は性愛だったのではないか、と検証の余白を残していた。

 

確かに性愛はバタイユの言葉を借りれば「自己を埋没させたいとする欲求」である。社会的鎖中から解き放たれ、初めて個人となった近代以降の人間は不安を抱え、自由に耐えられず、そこから逃走してしまうとエーリッヒフロムは述べた。これがファシズムに向かう心理であり、ヒトラーへの合一化をしたいという欲求はそれは性愛と性質を同じとしている。 

 

なるほど権威への従属と自己の自由の否定は実は楽しいことだ。俺は女からしょんべんをかけられると興奮を覚えるが、それは俺のマゾヒスティックな性質によるものだ。舌を出せと命令し、素直に従う女を見ても興奮を覚える。つまり俺はサディズムマゾヒズム両方の快感を理解しているし、多くの人も同じような性質を持っているだろう。 

ヒトラーという破壊の権化との一体化はサディズムマゾヒズムの両方を欲求を満たし、欲求が満たされた民衆はヒトラーを熱狂的に支持するようになる。 

 

 

本書で引用されているエルンスト・ユンガーの言葉を借りて本の要約としたい。

 

彼の政権掌握を祝福したあの熱狂的な大歓喜はどれも、自分自身が無となる展望を皆が歓迎したことなのであり、純然たるニヒリズムの祝祭なのだ