さよならを教えて

 大事なものをバラバラに破壊したり、猫を轢き殺したり、目の前の女を陵辱したらどうなるんだろう――突然そんなイメージが脳内でフラッシュすることはないだろうか。無論そんな考えを実行することはないし、むしろそんなことを思いついてしまったことに罪悪感が生まれ、そんな邪悪な自分を責めるだろう。しかし押さえつけた邪念はまたふとした拍子に吹き返す。そしてまた自分を責める、その繰り返しに見覚えはないか?

 

 

 脳内とは自由なものであるはずだ。しかし実際にはタブーが存在しており、思考にも制限をかけている。「常識を疑え」とはなんとも陳腐な言葉になっているが、脳の枷を外していく作業はより自由に近づく行為だ。その作業は「猟奇」や「狂信」に接合することも意味する。

さよならを教えて~comment te dire adieu」はこうした狂気を扱ったアダルトゲームだ。パッケージには「現実と虚構の区別がつかない方・生きているのが辛い方・犯罪行為をする予定のある方・何かにすがりたい方・殺人癖のある方は購入を控えていただくようお願いします」などと挑戦的な文言が為されている。これに該当する人間はぜひ購入してくださいと言わんばかりのキャッチコピーだ。今自分が勝手に条件を付け加えるならば「自己実現がうまくいかない方」もプレイを控えたほうがいいだろう。狂っている主人公に共感してしまうからだ。

 

あらすじはこうだ(wikipediaから引用)

主人公は教育実習生としてとある女子校を訪れていた。ある日、彼は美しい天使が異形の怪物に蹂躙されるという奇妙な夢を見る。彼が校内の保健医にその夢の相談をしていた時、一人の少女が保健室を訪れる。主人公の見た彼女の容姿は夢の中の天使に酷似していた。主人公は教育実習生としてヒロイン達と親しくなりながら奇妙な夢の真相を探る。

 

ヒロインたちと交流を深めていくと、ある選択肢が表示される。それは彼女を陵辱するものであり、プレイヤーの意思に関係なく陵辱する羽目になる。しかしゲームの進行上とはいえその選択肢を選んだとき、どこか晴れ晴れとしたのびやかな気分になっている自分がいた。一つ、脳の枷がはずれた。これは清々しいものだった。

 

このゲームの恐ろしいところは「俺は黒だが、それはお前もだろ?」と問いかけてくるところである。それだけ主人公の苦悩は普遍的であり、その苦悩に共感してしまえばその後の精神が崩壊していく様に臨場感が宿る。

 

 

現実がつらい人間は夢の中に逃げ込むが、その夢の中でも追い詰められてしまったら……?精神崩壊は意外と身近に存在していることを知らせてくれる、そんな作品だった。